No name 1



「お前、それ変だろ。」

降り注ぐ雨を眺めながら、ゼルが友達の一人に言われた言葉を思い出す。
そうかな。俺、変かな。
僅かに身動ぎしただけで、踝がズキズキと痛む。つ、と眉を顰めて足を擦った。
・・・だよな。俺、変だよな。
深い溜息を吐いて思った。
こんな、馬鹿みてぇに必死になって。そのせいで、こんな怪我までして。
赤黒く腫れ上がった踝を眺めて、もう一度大きな溜息をつく。
やっぱ、変だよな。
ここまでして、スコールに笑って欲しいなんて。


考えると、溜息ばかり出てくる。
どうしてだろう。どうしてだか分からない。
だけど、何時からかスコールは俺の前じゃ笑わなくなった。
いや、別に奴は元からそんな笑う方じゃねぇんだが。むしろ大口開けて笑ったトコなんか、見たこと
ねぇんだが。

だけど、時々。

だけど、時々、嬉しそうに唇を綻ばせる瞬間があって。
それを見ると、自分も物凄く嬉しくなった。腹の中がジワッとあったかくなった。
思い出すと、何だか涙が出そうになった。慌てて目尻を拳で擦った。唇をぎゅっと噛んで涙を堪えた。
だってスコールは、そういう事全然知らねぇ奴だったから。

最初、もの凄くびっくりしたのだ。
スコールがガーデンを出奔した時に。責任者の役目も何もかも放り出し、意識を失ったリノアを背負って
エスタに向かってしまった時に。

だってあの時はまだ、エスタの位置なんて誰も知らなかった。
収集した位置情報は曖昧で、全く確実性が無かった。第一、エスタに行けばリノアが治るなんて確証は、
まるで無かった。
昔、魔女が支配していた国だから、魔法を解く研究も進んでいるかもしれない。
そんな程度の、頼りない憶測に過ぎなかったのだ。

だから、信じられなかった。
スコールが、こんな馬鹿な真似をした事が。あの優秀な男が、こんな確証もない話を鵜呑みにして、
ふらふらとガーデンを出て行ってしまった事が。
勉強も実技もずば抜けて良く出来る同級生。殆ど口を利かないのに、誰もがその存在を気にしていた。
『あいつと話すと、すげー緊張する。』
それが仲間内での一致した意見だった。同じ性別で、同じ学年で、同じクラスで。
それなのに、スコールは他の誰とも違っていた。
立てる戦術は桁違いに巧妙で、教官達すら感嘆するほど穴が無かった。そして実技ともなれば、それこそ
誰も歯が立たなかった。ガーデン一の攻撃力を誇るサイファー以外、スコールの相手が勤まる者は
いなかった。

けれど、それだって本気だったかどうか怪しい。
訓練場のど真ん中で、マジでやれ、と顔を真っ赤にして怒鳴るサイファーの姿を何度も見た。
そのサイファーに「これ以上は体力の無駄だ」と平然と言い捨てて歩き去る姿も、すっかりお馴染みだった。
突出した攻撃力を武器に、ガーデンを支配するように見回る傲慢な風紀委員長。サイファー・アルマシー。
その大男を、そんな風にあっさりとあしらう姿は、思わず見惚れてしまうほど格好良かった。
すげぇなぁ、あいつ、すげぇなぁ、と興奮して仲間達に繰り返した。あいつ、昔からああなのか?と
尋ねる編入学組の自分に、ガーデン育ちの友人の一人はどこか醒めた口調でこう言った。


「まーな。あいつ俺等とは全然別だから。あれだよ。別世界の人間ってやつじゃん?」


だな、と頷く周囲に、自分もそうかもな、と頷いた。その言葉がすんなり納得出来るほど、自分と
スコールとの世界は隔絶して見えた。
それによ、と友人がふいに声を潜めて言う。
あいつ実はキレさすと怖ぇんだぜ。昔、ちょっとなんか言っただけで、マジでチンコ斬るって言って
来たんだってよ。言われた奴、ビビって言いまくってたし。だから皆、あいつ怒らせないようにすげぇ
気ぃ使ってんだ。

へぇ、と驚いて、教室の隅で一人頬杖を付くスコールをこっそり振り向いた。
んな風に見えねぇよなぁ。
それが正直な感想だった。編入当時、偶然スコールと演習を組まされた。不慣れな戦闘に不手際を
繰り返す自分に、この優秀な同級生は特に怒った様子も無く、背後で黙々と的確なフォローしてくれた。
終わってみれば、演習は合格点ギリギリの低成績だった。
その低得点の原因は、自分にある事は明白だった。だから、既に歩き始めていたスコールを呼び止め、
悪りぃ、と頭を下げて謝った。すると、黒髪の同級生は「別に。初心者にしては良くやった方だろう。」と
あっさり言い捨て、そのまま何事も無かったように去っていった。

いい奴だな、と思った。
確かに、言い方は噂通り無愛想だった。が、皆が言うような、「人を見下してる」感じは受けなかった。
むしろ、公正で、冷静な判断力を持った奴だと思った。「ちょっと何か」言われたぐらいで、そんな物騒な
事を言うような短絡的な人間には、とても見えなかった。


自分の視線を感じたのか、スコールがふっと瞼を伏せて顔を逸らす。
びっくりするくらい綺麗に揃った黒い睫毛。彫像のように整った薄い唇。精悍に引き締まった頬のライン。
・・・・まぁ、別世界っつうのは、あるよな。
しみじみ感心して思った。あいつと俺じゃ、細胞の素材から違います、つう感じだもんな。ああいう
完璧な奴って、マジでいるんだなぁ。
今度バラムに帰ったら、地元の奴等に話してやろう。すげぇ奴がいるって。すげぇカッコイイ奴が
ガーデンにゃいるんたぜ、って。
楽しい想像に、思わずニッと頬が緩んだ。やっぱ、あいついいよな、と思った。
あいつはこっちをどう思ってるか知らねぇ。皆の言う通り、俺等を話にならねぇ小物だと思ってるのかも
しれねぇ。だけど、俺はなんかあいつ、いいと思うな。
深く瞼を閉ざすスコールを眺めながら、繰り返しそう思った。

だから、その後のSeeD試験や初任務で一緒の班になった時は嬉しかった。
嬉しいと言うか、はしゃいだ。何ていうか、憧れのヒーローと一緒になれた気分だった。
その高揚した気分のまま、張り切ってスコールに話し掛けた。
けれど、スコールの態度は相変わらずだった。
その無愛想な応対は、教室と一向変わらなかった。笑顔で差し出した右手が握られる事は無かったし、
話し掛けた言葉に答えが返ってくる事も、殆ど無かった。

それでもいいか、と思った。
確かに、空しくなかったと言えば嘘になる。自分がスコールの興味の端にも掛からない、取るに足らない
奴だと思い知らされるのは、やっぱり寂しかった。
でも、暫くたつと、それがヒーローってもんだよな!と逆に納得した。
クールなヒーローってのは、やたらと愛想を振り撒いたりなんかしない。無愛想に、誰の手も借りず、
一人で強敵をぶちのめす。それが、ヒーローの役どころだ。そういう奴が、俺みてぇなのと馬鹿やったり
しちゃ、「ヒーロー」の価値が落ちるってもんじゃねぇか。
そう思うと、スコールの無愛想さはあまり気にならなくなった。
スコールは「孤高のヒーロー」で、誰の手も必要としない。それでいいんだ、と思うようになった。



だから、スコールの出奔は一層衝撃だった。
そのスコールが、こんな真似をするなんて。人一人背負ったまま、正確な場所も分からない、幻の国を
探しに出て行ってしまうなんて。
クールな孤高のヒーローが、そんな馬鹿な事をするなんて、とても信じられなかった。

あまりに衝撃が強かったものだから、スコールには何か別の思惑があるのではないかと思った。
自分達の考えの及ばない、深い計算があるのではないかと思った。ここで奴に追いつく事は、むしろ
その計画の邪魔になるのでは、と危惧すらした。
けれど、それを言い出す事は出来なかった。
それこそ確証が無かったし、第一、スコールを追うことに夢中になってるキスティス達に、水を差すような
事は言い出し難かった。


検討しあった結果、スコールはまだ多分、幻の大陸に向かう大橋の上にいるだろう、という結論になった。
そこで、飛空挺で先回りしてスコールを待つ事にした。
リノアを背負ったスコールの姿が、橋の向こうからじょじょに大きくなっていく。待ちきれなくなった
セルフィ達が自慢気に、「遅いよ〜」と駆け寄っていく。俯きながら歩いていたスコールが、近寄る人の
気配にふっと顔を上げたのが判った。

身体がぐっと緊張した。
ドキドキしながら、近づく黒衣の男を見詰めた。もしスコールがちょっとでも迷惑そうな素振りを見せたら、
すかさずこう言ってやろうと思った。
いいだろ!?俺達も、お前の計画に協力させてくれよ!俺等みんな、お前の手助けがしてぇんだ!
そう滑稽なほど大袈裟な笑顔で言い切って、このガーデンのカリスマに言い訳しようと思った。


けれど、スコールは何も言わなかった。


自分達を発見したスコールは、ピタリとその足を止めた。
サファイアのような蒼い瞳が、驚いたように開かれる。暫く立ち尽くした後、スコールは酷く困ったように
顔を俯かせた。そして、いかにも申し訳なさそうな、小さな声で呟いた。



「・・・すまない」



その声を聞いた瞬間、唇が震えた。
初めて、自分が思い違いをしていた事に気付いた。
計算なんて、なかった。スコールの行動に、思惑なんて無かった。
それにその時、初めて気付いた。




ただ。




ただスコールは、辛かったのだ。




スコールはただ、辛かったのだ。
リノアの事が、辛くて仕方なかったのだ。
自分を頼り、自分が連れてきた、可愛い甘えん坊の女の子。守ってやれると思ったのに。
それなのに、目の前で呆気なく魂を奪い去られて。ただ死人のように横たわるその姿を、いやと言うほど
見せられて。
スコールはその事実が、辛くて、重くて、堪らなかったのだ。
その重圧に、押し潰されてしまいそうだったのだ。



止める事も出来ないくらいのスピードで、眼の奥から涙が湧き上がってきた。
馬鹿みてぇだ。こいつ、馬鹿じゃねぇの。
何で、謝るんだよ。何でそんな、申し訳なさそうに俯いてんだよ。


だってお前、辛かったんだろ。


俺がお前を勝手にヒーローに仕立ててる間中、ずっと、ずっと辛かったんだろ。
俺達皆、頼るばっかで。
お前なら出来るだろって、任せっきりで。
ずっと一人で、悩んでたんだろ。それでもう、どうにもならなくなっちまったんだろ。
なのに、何で謝るんだよ。


涙がボロボロと零れた。
謝らなければ、良かったのに。
スコールが、謝らなければ良かったのに。
こんな風に、自分を追い詰めるような奴じゃなかったら、良かったのに。
誰にも頼れなくて。誰にも言えなくて。
それでもどうにかするしかない、って思い込んで。一人でどうにかするしかない、って思い込んで。
それで闇雲に出奔した自分の心を、こんな風に申し訳なさそうに謝るような奴じゃなければ、良かったのに。



俺、お前の友達になりたい。


ふいに、その言葉が喉元に競りあがってきた。
その力が余りに強すぎて、息が詰まりそうになった。


だって俺、寂しいよ。


涙がまたボロリと頬に零れ落ちた。
だって俺、寂しい。スコール俺、寂しいよ。
お前が一人で出ていっちまった事が。お前が、一人で悩んでた事が。
お前が、ちっとも平気じゃなかった事が。


なぁ俺、お前の友達になりたい。


祈るように胸の中で繰り返した。
スコール俺、お前の友達になりたい。
ほっとくと、こんな馬鹿みてぇに自分を追い詰めるお前の友達になりたい。ヒーローの友達じゃなくて、
お前の友達になりたい。
俺はいつでもついてるぜ、って。
だからそんな悩むなよって、お前に笑って言える友達になりてぇよ。


その感情に突き動かされるように、泣きながらスコールに言った。
俺、お前の友達だと思ってる、と。
だから頼む。たまには友達に頼ってくれ。もうこんな、寂しい真似はしないでくれ。
そう、涙声で訴えた。


自分の言葉に、スコールは驚いたように顔を上げた。
そのまま、信じられない物でも見るように、蒼い眼がじっと自分を見詰める。
暫くして、黒髪の同級生は「うん」と小さく頷いた。
一層泣けた。自分でも、どっからこんなに涙が、とびっくりするくらい泣いた。

餓鬼のようにわんわん泣いた後、ようやく我に返った。
気付くと、キスティス達が呆気に取られてこっちを見ている。急に恥かしさが沸いてきた。それで、へへ、
と頭を掻きながら照れ笑いした。
そんな自分を覗き込んで、スコールが静かに口を開く。
「・・・・明日、眼、大変だぞ。ちゃんと処理しとけよ。」

それは何時も通りの、淡々とした声だった。
けれど、その薄い唇は、初めて微かな曲線を描いていた。いつも伏せられていた蒼い瞳は、しっかりと
正面から自分の姿を捉えていた。嬉しさに、あやうくまた泣きそうになった。慌てて、おう、と元気良く
返事して涙を拭った。スコールが「行くぞ」と一言いって歩き出す。その後を、弾むように追いかけた。






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